「大阪弁はわかりますかな?」
2014年9月、アフリカ中部ウガンダの首都カンパラにある崩れ落ちそうな衣料品工場の前で、大阪出身の柏田雄一は、はにかむような笑顔で私を出迎えてくれた。
「日本の新聞記者が訪ねてきてくれたのは何年ぶりですかな? 随分と久しぶりですわ」
83歳。わずかに足を引きずりながら、工場内を案内してくれた。
「ワシはほら、ここでは『ウガンダの父』って呼ばれてますやろ。でも、アレはもうアカンですわ。とっくに『ウガンダの爺さん』ですわ」
大阪生まれ、大阪育ち。1958年に大阪外語大を卒業し、2年後の1960年、入社した衣料品会社「ヤマトシャツ」(現・ヤマトインターナショナル)で社長室に呼ばれた。
「ウガンダで我が社のシャツがバカ売れしとる。灼熱の大地で、なんでアフリカ人がシャツなんて買うんや。お前、ちょっと行って見てきてくれんか?」
1960年代、日本人の多くがまだ「アフリカでは現地人がヤリを持って動物を追いかけている」と信じ込んでいた時代だった。
半信半疑で飛行機を乗り継ぎ、ウガンダの空港に着いて驚いた。
「そりゃ、ひっくり返ったわ。暑いどころか、寒かったんや」
平均気温は摂氏23度。国土の大半が標高1000メートル以上の高地に位置するウガンダには「アフリカの真珠」と称されるほどの美しい森と湖が広がり、イギリスが第二次世界大戦中、ドイツ軍の空襲におびえて首都を本気でウガンダに移そうとしたとされるほどの冷涼な国だった。
どうりで日本製のシャツが売れるわけだ――そう納得した柏田は5年後、ウガンダ政府と合弁会社を設立し、現地で125人を雇用して「ヤマト」のシャツを作り始めた。
高品質のシャツは飛ぶように売れた。しかし1971年、軌道に乗り始めた経営をウガンダ軍のクーデターが直撃する。反乱軍の将校らが社長室にまで乗り込んできて、柏田は銃口を向けられながら「工員を全員、工場の前を集めろ」と命じられた。
「まあ、そんなに焦りなさんな」
少数民族の工員が虐殺されることを懸念した彼は、まずは将校たちを落ち着かせるために時間を稼ごうと考えた。
工場の広場に建てられた支柱の上ではためく日の丸を指さして聞いた。
「それよりあんたら、あのポールに掲げられている旗が何の旗か知っとるか?」
「知らん」と将校のリーダーらしき男が即座に答えた。「コカ・コーラか?」
コカ・コーラ?
予想外の答えに柏田は思わず吹き出してしまった。すると反乱軍の将校たちもそれにつられてわずかに苦笑し、周囲に笑いが広がった。
「違うわい」と柏田はあえて笑いながら言った。「コカ・コーラのマークは赤丸のなかに『コカ・コーラ』って書いてあるやろ。あれは『日の丸』という日本の国旗や。東洋の島国がわざわざウガンダにまで来て、この国の外貨獲得のために必死に頑張っとるんや。そんな工場を君たちは今から潰そうとするんかい!」
柏田の一言に将校たちは顔を見合わせ、しばらく何かを話し合っていた。するとリーダーの一人が柏田に向けていた銃口を下ろさせ、深々と一礼すると、そのまま将校らを引き連れて、工員を一人も殺さずに工場から立ち去っていった。
それだけではない。彼らは工場が反乱軍から不必要な攻撃を受けないよう、その後も部下を工場の周囲に配置して、工場や工員を守り続けたのである。
逸話はクーデター後、現場にいた秘書や工員の口から市民へと伝わり、柏田はいつからか「ウガンダの父」と呼ばれるようになった――。
国民の信頼を勝ち得た柏田はその後、アフリカのビジネス界で奇跡的とも言える成功をおさめた。ウガンダのほとんどの小中学校の制服には「ヤマト」のタグがつけられ、子どもたちは「ヤマト」を着て学校へ通い、卒業すると「ヤマト」のスーツに袖を通した。「ヤマト」はウガンダからアフリカ各国へと輸出され、外貨獲得の大黒柱としてウガンダの経済を長く支えた。
ところが2000年代に入ると、安泰だと思われていた経営に急遽、暗雲が垂れこめ始める。ウガンダの国内市場に「ヤマポ」や「トマト」といった偽物が出回り始め、会社の業績が急速に悪化し始めたのだ。ほとんどが中国で生産された模造品だった。
柏田の会社は倒産寸前の状態に陥り、私が取材に訪れたときにはすでに風前の灯火だった。借りられるところからはすべて資金を借り、中国製品と差別化を図るため、有機栽培の綿花を使用したシャツを売り出して起死回生を狙ったが、賄賂を払って無税で税関を通り抜けてくる激安の中国製品には太刀打ちできない。
「俺はなあ、負けたくないんや」と柏田は社長室で私に向かって豪語した。「負けへんぞ。中国にだけは絶対に負けへん」
しかし、すでに工場の9割が稼働を停止し、多くの従業員を解雇してしまっている。この状態から起死回生は可能なのか?
「君の考え方は根本的に間違っとるな」と83歳は私の懸念を笑い飛ばした。
「確かに今はうまくいっていない。でもそれは今だけだ。違うか? 未来のことは誰にもわからん。そもそも苦労なんてもんはな、人間、多ければ多いほどいいんだ。振り返ってみてみい。『つらいな、苦しいな』と思っている時が、人間、本当は一番成長し、充実しとるときなんや。俺はアフリカに来てから何度もそう思ったし、今もつくづくそう感じとる。そうしたら、君、ワシは今、人生で最高に輝いとるっちゅうことやないか!」
「ウガンダの父」は豪快に笑ってそう言うと、咳き込みながら社長室の入り口の脇に座る女性秘書に水を求めた。
「君も飲んでみぃ。ウガンダの水はとびきりうまいぞ!」
運ばれてきたペットボトルの水を一気に飲み干しながら、うっすらと砂にまみれたボトルを私に向かって差し出した。
(2014年9月)