アフリカに「宝島」と呼ばれる島がある。
東アフリカのビクトリア湖に浮かぶ「ミギンゴ島」だ。
サッカーコートの4分の1ほどの面積(約1800平方メートル)の岩礁に、千数百人もの漁師や家族が張り付くようにして暮らしている。
そこが「宝島」と呼ばれる理由は、その周辺水域が高級魚ナイルパーチの最良の漁場であるからだ。ミギンゴ島に行けば、1日で1カ月分のカネを稼げる――そんなうわさがビクトリア湖の沿岸地域に広がり、1990年代以降、鳥と蛇しかいなかった岩礁に千数百人が住み着いた。
2014年10月、ナイロビ支局に勤務する取材助手のレオンと一緒に車でビクトリア湖を目指した。ケニアの沿岸都市ミゴリからさらに約3時間かけて湖畔の町へとたどり着き、町外れの波止場から小舟で島に渡ろうとしたところ、運悪くケニアの警察当局に見つかり、私だけが乗船を止められた。
警察官曰く、「国際問題になる可能性があるため、外国人の記者をミギンゴ島に上陸させるわけにはいかない」。
ビクトリア湖はケニアとウガンダの間にあり、その中に浮かぶミギンゴ島はちょうどケニアとウガンダの国境付近に位置している。そこは長年、両政府がそれぞれ領有権を主張しあう「紛争の島」であるらしいのだ。2009年、グーグル・アースの衛星写真によって島が国境より500メートルほどケニア側にあることが判明したが、ウガンダ政府は依然、「島はケニア領かもしれないが、漁民が漁をしている水域はウガンダ領にある」として争う姿勢を崩していない。
私は仕方なく、ケニア人のレオンに小型のデジタルカメラを渡して小舟で島へと渡ってもらった。
約8時間後、レオンはヘトヘトに疲れ果てて波止場へと戻ってきた。
「怖かった。湖が荒れて、小舟が沈没しそうになったんだ」
レオンは現地で撮影してきた数十枚の写真をパソコンに映し出して私に見せてくれた。島には数十のトタン小屋がまるでタニシのようにびっしりと張り付き、島内はまるで迷路のようだ。通路の幅は約80センチしかなく、大人一人が辛うじて通り抜けられるほどでしかないが、その両側にはバーや薬屋、ホテルまでもがひしめき合っている。
一方で、レオンが聞き込んできた島民の話によると、「宝島」では今、以前のようには魚が捕れなくなってきているらしかった。彼が島で取材した漁労の組合長によると、10年前は一人1日50キロ前後の漁獲があり、1日200ドル(約2万円)ほどを稼ぐことができたが、最近では1日10キロ捕れれば良いほうで、高級魚のナイルパーチについてはほとんど捕れなくなっているという。
「湖が汚れているからだと思う」
レオンはそう言うと、島の周囲の湖面の状況をパソコンの液晶画面へと映し出した。そこには湖水が茶色や緑色に変色し、ペットボトルのゴミなどが無数に浮かんだビクトリア湖の様子が写っていた。島では岩場の端をトイレにし、汚物はそのまま湖に流しているらしかった。
「島の人間はその水を調理や飲み水として使っているんだ」とレオンは意図的に顔をしかめた。
「島の女性たちは『午後の水は汚いけれど、朝は大丈夫。夜に風と波が汚れを遠くへ押し流してくれるから』と話していたけれど、おそらくそれも限界に近いんじゃないかな」
翌週、私とレオンは湖西岸のウガンダ側にある首都カンパラへと回り、近郊の漁師町で小舟を借りて、そこからビクトリア湖の沖合へと出てみることにした。
湖は一面アオコで覆われ、周囲にはドブ川のような腐敗臭が漂い、舟を回すと水流が乱れて湖面に濃緑のマーブル模様ができるほど、ビクトリア湖の水は汚れていた。沿岸の漁師に釣果を尋ねると、全員が「ご想像の通りだ。こんなに湖が汚れている」と無念そうに首を振った。
再びケニアへと戻って、ビクトリア湖の生態系に詳しいマセノ大学の教授ディクソン・オゥイティを訪ねると、彼は「ビクトリア湖はナイルパーチによって殺されたんだ」と一見逆説的とも思える理由を用いて汚濁の経緯を解説した。
かつてビクトリア湖には約400種の固有種が生息していた。ところが1950年代、乱獲によって淡水魚が減少すると、それを補うために食用として肉食の外来魚ナイルパーチが放流され、固有種の約半数がナイルパーチに食べられて絶滅してしまった。藻やプランクトンを食べていた固有種が減少し、結果、藻やプランクトンが異常増殖するようになったため、湖中が酸欠状態に陥って魚が棲めない環境が生まれている……。
老教授は悲しそうな表情で言った。
「高級魚のナイルパーチは広く海外に輸出され、1キロあたり500円前後の高値で取引される。ビクトリア湖には貧しい漁民がナイルパーチを求めて殺到するようになり、以来、湖には大量の汚水が沿岸地域から直接流れ込むようになってしまった。浄化作用を失った湖は加速度的に汚染の度合いを深め、今ではナイルパーチでさえも捕れなくなった。湖も人も、もうここでは生きながらえることができなくなっている……」
執務室には、数十年前に日本の水産会社から贈られたというナイルパーチの剝製がほこりをかぶった状態で飾られていた。
老教授はその古びた剝製を手に取りながら、嘆いた。
「あなたには知っておいてほしいことがある。この剝製をかつて私にプレゼントしてくれたのはどの国か。ナイルパーチの最大の輸出先はヨーロッパ、そしてあなたが生まれた国、日本なのだよ」
(2014年10月)